下記の文面は、平成18年1月に黒田与作氏から全国のピロール会役員及びピロール会会員に送られたものの一部であります。 この文面を読まれれば、黒田与作氏の人間性等が理解できるのではないかと思い掲載させて頂きました。


 謹啓  新年あけましておめでとうございます。
    各位には、すがすがしい年を迎えられましたことを心より大慶に存じ上げます。
    また旧年中は何かとご指導ご協力を賜りましたこと心より有難く厚く御礼申し上げます。
    顧みますとピロールに取り組んで28年目の今年。

  ● 当時、
寺島博士が……東京の地下鉄で、大きく看板広告が出ているのを見て、
             『 黒田、あそこに「光ファイバーが世界を変える」とあるだろう。
              通信やテクノロジー技術は日進月歩なのに、農業というのは遅れて
              いるなぁ…』
              ピロールをみなが解かるまでには、30年はかかるだろうなぁ……と、
              感慨深く言われたのを忘れる事はありません。

  ● 2004年11月6日に急逝された 
酒井博士

             『 黒田さん、あなたがピロール、ピロールと宣伝していた頃はみなが丑
              三つ時で爆睡していたんですよ。 この頃になってようやく、早起き
              鳥の人たちがピロールって何やろう…っと、なってきたんですよ。』
             『 黒田さん、とにかくピロールは面白いですよ…。』
                                 …20年も前の事です。
             『 ピロールがなんと言っても強いのは、データーを持っているという事
              ですよ。 しかも、そのデーターが20年近く積み重ねてあるという事
              ですよ。』と。
             『 黒田さん、今いいですか(携帯電話にかかってきました。岐阜におる
              時です。)「あのね、すごい事が解かってきたんですよ、ピロールでね
              、
連作障害が回避できるんですよ。これはスゴイ事ですよ。』

              この連作障害などに関する書籍(ピロール農法関連4冊目)を書きま
              しょうよ…と言われて半年後に発病され、急逝されました。

  ● 年末に、韓国のある機関から、3月にピロール農法の勉強したいので…と打診がきました。
    40名が来られるとのこと、福井に来て頂いても(春3月、福井では農家があまり働いておりま
    せん)ダメなので、東京で勉強会を開催するという事で、話を進めることになりました。

 このような展開の中、前々より企画しておりましたところの………
  有限会社黒田商事からの脱皮として……株式会社ピロール の設立に向けて考慮・構想を重ねて
ゆきたいと。 と申しますのも当初、私(黒田与作)が個人企業として利益主体に稼ぎたいとの思惑で、
取り組みましたこのピロール…。

 
神門酔生師匠との出会い、薫陶。 酒井弥博士との出会い、ご指導と身に余るご協力。
そして近年の
紺野大介先生(師匠)との奇遇(邂逅)・ご指導と身に余るご支援……を得るごとに、
ピロール事業というのは、私個人がどうのこうのと…動かすものでもなければ、それだけの「 分 」
が私には備わっていないと認識してきております……神門師匠の言葉のように、

 『 これから日本は大変な時代を迎えるのですよ、皆が貧乏になってね、堕落した官僚や政治家が
増えてきますと、国家を心より愛する人たちが必ず出てきますよ…このままでは日本がダメになると
ね。 そういう人たちが必ず、ピロールを応援しますよ。 そうしたら、黒田お前はそういう人たちに
このピロールの仕事とを大きくしてもらいなさいね。 必ず、そうなるのですからね。』 ……と。
                           (この言葉は20年以上前の事でした)
                           
            (一部抜粋して掲載させて頂きました)

                     21世紀を救うピロール農法